夢で会えたなら何を話そう?

今日は普段のような内容とは違って
哲太にとっては、えらく内容が重い話しです。湿っぽい話しなので
隠してみました。
でも、忘れられないというか
忘れてはならない日でもあるので
自分の為に書いておきます…



従兄弟の頬から伝わる感じたことの無い肌の冷たさ、
親戚や家族の見たことの無いような涙、
火葬場に響く、ガスバーナーのような嫌な音…
火葬されてカサカサになった従兄弟の遺骨…
叔母の従兄弟を思い出したときに見せる表情と涙。


先週、2月1日、2月2日は、たぶん今まで生きてきた中で
一番悲しい日だったと思う。
ヒイじいちゃんが死んだときの経験からか、
小さい頃、人は死ぬとどうなるんだろうとか、
火葬場で人が焼かれるという事実が異常に怖かった時期があった。
年を重ねるにつれて、いつか人は死ぬモンなんだと
自分の中で納得がついて、いつしか死ぬことも
そんなに怖いことじゃくなっていた。
でもそれは、自分の周りに"人の死"という体験が
なかっただけで、いざ"死"に直面すると、
相変わらず手足が震えるし、涙もでるもんなんだね。
自分でもびっくりするぐらい自然に涙が溢れた。


火葬も終わって、叔母の家で導師様に遺骨へお経を
唱えてもらった後、導師様が言ってたことなんだけれども、
"人の死"っていうのは、心臓や脳が活動を停止して、
医師から死亡診断書にハンコを押してもらった瞬間じゃあなく、
亡くなってから、お通夜やお葬式を経て色々な人々に
泣きながら供養してもらい、骨になったあとでも、
故人の生前の思い出なんかを語ったりするその過程全て
というか、全体がその故人にとっての"死"というものらしく、決して形式的に
とらえてはならないと言っていた(と思う)。


それに仏教では"人の死"自体は誰もがみな授かるものであり、
死を授かったのが早い遅い(長生きした、していない)だけのことであるから、
その長さを人と比べるものではないらしい。比べても意味が無い。
本当に悲しいのはむしろその後、死んでから自分の人生を振り返ったときに
自分の人生を「あぁ、なんて虚しい人生だったのだろう」と悔いる事だという。
だからそう考えると、哲太の従兄弟は短い人生だったけれど、
沢山の病院の関係者や、同級生が葬儀に駆けつけてくれて、
本当に"良い死"を迎えたわけで、それは僕らが逆立ちしても達することの出来ない
幸せな人生だったとおっしゃっていた。


んー、オレの人生どうなんかな…。
その導師様のお話を聞きながら考えてみると、
"死"というものに対しての悲しみや恐怖が
少しだけ和らいだ。ここの日記に書いてあるのは、哲太のうろ覚え
のお話であって、実際話しを聞いたときはもっと感心してしまうほどの
内容だったと思う。なんとうか、"死"に対してちゃんと筋が通った内容というか。
話し戻って、自分の人生を振り返ってみると、
確かにロクな恋愛とかしてないけど、沢山の友達や知り合いにめぐり合えたし、
愚痴や本音を言い合える親友というのも出来た。
家族からは虐待を受けず、また家族に対して強い憎しみも持ってはいない。
今もし仮にオレが死んじゃったとしたら、
葬儀にはちゃんと家族や友達が駆けつけてくれると
思うし、それなりにみんな涙も流してくれると思う(そう信じたい)。
だとしたら、今のところ死んでしまっても悔いは無いな〜
と、まぁ、"死"にたいしてチョット楽観的な考えが浮かぶわけだけれど、
さっき書いたように、葬式で見せる、普段見ないような、みんなの悲しい顔や涙
を思い浮かべると、絶対自殺なんて出来ないし、人を殺したりすることも
できないね。今更だけど"死"を重く受け止めるようになった気がする。
オレにとって問題なのは遺影なんだよね。今死んじゃったら、ホント、葬式で使われる
ような、まともな写真が一枚も無い!いつも努めて変顔だからね…
たまには、まともな格好と顔して写真写ろうかな。
最後にお願いなんだけれど、哲太より先に絶対死なないでくれよ!
もうあんな悲しい思いはしたくは無いです。
でも哲太がもし死んじゃったら棺の中にはマトモな物入れてね。
いくら故人が愛していたからってAVとか入れないでね。
AV…?ちょ、バイト先で借りたこのAV、2泊も延滞してるし…!
死にたいけれど、今日も頑張って生きていこうと思います、哲太でした。